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スタックスの歴史は、1959年に当時銀行員であったJim Stewart(ジム・スチュワート)が作ったSatellite(サテライト)レーベルに始まる。その後、サテライトのレコードショップのオーナーであった妹のEstelle Axton(エステル・アクストン)との共同経営へと移り、レーベル名も2人の最初の(STewartとAXton)2文字を取りSTAXとし、1961年に本格的なスタートを切った。
スタックス初期の大スターは、何といってもOtis Redding(オーティス・レディング)だ。しかし厳密に言うとオーティスはスタックスのアーティストではない。当時のラジオ局では同じレーベルから何曲もかけることを避けたため、スタックスが姉妹レーベルとして用意したVoltから発売された。こうしたことは他のレコード会社でもよくあった。
このレーベルは徐々にアメリカのブラック・ミュージックの中で重要な位置を占めるようになるのだが、こうした成功は、当時としては珍しく(特にメンフィスのような南部では)、経営陣、アーティスト、スタジオミュージシャンが、白人とアフリカ系米国人の混成チームにより支えられていた。
スタックスのハウスバンドであったBooker T and The M.G.'s (Memphis Group)やMar-keys(マーキーズ)は、スタックスのみならず、その配給会社であるATLANTIC(アトランティック)の所属アーティストであるWilson Pickett(ウィルソン・ピケット)やDon Covey(ドン・コヴェイ)のレコーディングにも参加し、“In The Midnight Hour”等の大ヒットを生んだ。
その危機を救った最初ヒットがJohnnie Taylor(ジョニー・テイラー)の“Who’s Making Love(1968年)”だ。それに続いたのがプロデューサー兼作曲家だったIsaac Hayes(アイザック・ヘイズ)の“Hot Buttered Soul”。その後もヘイズは、ブラックスプロイテーションの名作“Shaft”のサントラを手がけ、自らも映画俳優として人気得るなど、新生スタックスの看板スターとなった。
70年代中期までスタックスはサザンソウルを代表するレーベルとして数多くの作品を発表したが、経営の不備等により1975年に破産申請をし、黄金の歴史の幕を閉じた。(現在もレーベルは一応存続中)