ソウル・クラシックスの大辞典を構築中! スマホ対応なので出先でもどうぞ。
本名はMary Frierson。信仰心の強い家族のもと、メンフィスの片田舎で生まれた。音楽好きの母親が、男兄弟には楽器を教え、彼女にはハーモニーを教えた。Martha & the Vandellas(マーサ&ザ・ヴァンデラス)が大好きだったという。10代の時にDrapelsというヴォーカル・グループを兄・友人と結成し、スタックスのオーディションを受け、契約を結ぶ。
ソロ契約も結んだ彼女のデビューに際し、様々な芸名の候補が挙がったが、どれもしっくりくるものはなく、最終的にオーティス・レディングが出したウェンディ・レネという名前を彼女が気に入り、芸名として採用することになった(というのが定説だが、正確にはオーティスの案はWendy Reenだった。Reneは彼女のアイデアらしい)。
ウータン・クランやアリシア・キーズに使われた“After Laughter (Comes Tears)”は、元々Drapelsとして録音したものだったが、ウェンディ・レネ名義でリリースすることになり、彼女にとってのデビュー・シングルとなった。印象的なオルガンはBooker T. Jones(ブッカー・T・ジョーンズ)が担当した。
彼女の曲は非常にポップなものが多く、バックの音は非常にシンプルでタイト。初期スタックスのいい面がよく出ている。
ウェンディ・レネは、ルーファス・トーマスやオーティス・レディング等、他のアーティストのバックヴォーカルも務めており、1967年12月10日、オーティスやバーケイズのメンバーとともに、同じ飛行機で移動する予定だった。だが、当時出産したばかりの彼女は、赤ん坊との時間を大切にするため、急遽仕事をキャンセル、奇跡的に墜落する飛行機には乗り合わせることはなかった。
そして彼女は、大スターを目指すことよりも母であることを望み、そのまま引退の道を選んだ。