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ソウル&ファンク大辞典

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Otis Redding / PAIN IN MY HEART

ソウルの創造神の初期衝動が詰まった作品

オーティス・レディング Pain in My Heart,
Otis Redding, 1964
Johnny Jenkins(ジョニー・ジェンキンス)のバンドのヴォーカリスト兼運転手であったオーティス・レディング。1962年、彼は運転手としてジェンキンスをStax Records(スタックス)のスタジオがあるメンフィスまで送り届ける役目を授けられた。ところが予定よりもジェンキンスの録音が早く終了したため、オーティスに思わぬチャンスが巡ってきた。スタジオで録音してみないかと誘われたのだ。ここで彼は歴史に残る二つの曲を録音する。一つは彼が敬愛してやまないリトル・リチャード風の“Hey Hey Baby”。1960年にシングルデビューを果たして以来、彼が最も得意とするタイプの曲だった。出来は悪くはなかったものの、プロデューサーのジム・スチュワートは、リトル・リチャードに似すぎたこの曲では満足しなかった。そして、もう一曲用意していたのが、後にソウルバラードの傑作と語られることになる“These Arms of Mine”だった。この曲はメンバー全員の心を打ち、その後のソウルの歴史は、オーティス・レディングを中心に回ることが決定的となった…、というのは後日談であり、現実はもっと厳しい。歴史を変えたともいえるこの2曲を収めたシングルの発売から、デビューアルバム“Pain In My Heart”が発表されるまでには、かなりの時間がかかっている。正直、“These Arms of Mine”は、スタックス内ではそれほど評価されなかったのだ。しかし、地元ラジオ局のDJが熱心にプレイしてくれたおかげで、オーティス・レディングは、将来ソウルの創造神として君臨することになる。

この2曲の録音から、2枚のシングルの録音を重ね、ようやくアルバムのリリースにこぎつけることができた。そのため、このアルバムの録音は4つの時期に分かれており、1年以上の期間が空いている。それでもこのアルバムが重要なのは、ソウルの神の初期衝動を一番感じることができる作品だからだ。

Producer: Jim Stewart
1964年





These Arms of Mine - Otis Redding
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