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ソウル&ファンク大辞典

ソウル・クラシックスの大辞典を構築中! スマホ対応なので出先でもどうぞ。

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Little Richard / HERE’S LITTLE RICHARD

ロックとファンクのクロスロードに立つ偉人

リトル リチャード Here's Little Richard,
Little Richard, 1957
教会の助祭の職を持ちながら、密造酒の販売もする矛盾に満ちた父を持つという、ロックンローラーとしてはエリート(?)にも近い環境で育ったリトル・リチャード。こんな父親でも、息子がゲイであることだけは許せず、13歳の時、家を出て行くように命じる。この後、父と子の関係は修復することもなく、リトル・リチャードが19歳の時に、父は拳銃で撃たれ命を落とす。

それでも父の仕事場であった教会の影響を彼は受けていた。叔父や祖父も聖職者であったため、教会はリトル・リチャードの生活の一部でもあり、ゴスペルやピアノを学ぶことはごく自然なことだった。

実父に家を追い出されたリチャードが引き取られた先は、白人家庭であった。これにより違う価値観を学ぶ機会を得る。育ての親がクラブを経営していたことから、リトル・リチャードの音楽的才能を徐々に世間が知ることになる。

最初の成功はSpecialty Records (スペシャルティ)に移籍してから。ドラムのリフを口ずさんだ「ア・ワッバム・ルマップ・ロン・バンブーン!」 で始まる“Tutti Frutti”が1955年に大ヒット。この曲はロックンロールの原型のひとつとされ、後にエルビス・プレスリーやビートルズを始め無数のアーティスト達にカバーされた。

ロックの記念碑ともいえるこの偉大な曲も、最初は卑猥で録音に値するようなものではなかったらしい。思うように進まないレコーディングの休憩中に、ライヴでよくプレイしていた『トゥッティ・フルッティ』を気晴らしで演奏したところ、プロデューサーが気に入り、急遽歌詞を市場にのるよう上品に書き直し、リリースすることになった。

録音はニューオーリンズ、当時R&Bの新たな流れを生み出していたファッツ・ドミノのバックバンドが集められた。ニューオーリンズのうねるようなグルーヴ感と、ゴスペル、ブルース、ブギウギ、猥雑なブラック・カルチャー、白人文化と、様々文化を体感していたリトル・リチャードの個性がぶつかり合い、歴史的名作が数々生まれていった。

リトル・リチャードは、デビューアルバム“Here’s Little Richard”をリリースする以前に、ビルボードのトップ40に6曲もチャートインするほどの人気者になっていた。『トゥッティ・フルッティ』と同じくプレスリーとビートルズにカバーされた『ロング・トール・サリー(邦題:のっぽのサリー)』等、このアルバムにはロックンロール初期の名作が多数収録されている。

まだ人種差別の厳しい時代に、不自由な足やゲイであることを隠そうともせず生きたリトル・リチャード。彼の生き様そのものがロックの歴史といえる。

Producer: Bumps Blackwell
1957年



Long Tall Sally & Tutti Frutti - Little Richard
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