ソウル・クラシックスの大辞典を構築中! スマホ対応なので出先でもどうぞ。
1968年ローカル・レーベルであるSteeltown(スティールタウン)から“Big Boy”をリリース。地元インディアナ州では有名であった彼らは1969年ゲーリー市長主催のコンサートに出演、会場にDiana Ross(ダイアナ・ロス)と来ていたゴーディーは、彼らとの契約を即決、リハーサルのために西海岸に行くことを命じた。そこで、グループのメンバーだけでなく、ジャクソン家全員で引っ越しすることになった。
1969年の暮れに、ジャクソン5はDiana Ross & The Supremes(ダイアナ・ロス&ザ・シュプリームス)とともにハリウッド・パレスでお披露目をする。続いて現在でも人気の高い“I Wand You Back”をリリース、マイケルをリード・ヴォーカルにしたこの曲は全米1位・全英2位のモンスター・ヒットとなった。同年にはデビュー・アルバム“Diana Ross Presents The Jackson 5”(全米5位・全英16位)もリリース、彼らの成功を決定づけた。
一般的にジャクソン5を発掘したのはダイアナ・ロスだということになっているが、これはゴーディーのマスコミ向けのデマで実際は既述の通りだ。その後もグループの人気は衰えず、主なものだけざっとあげても“ABC”(全米1位・全英8位、1970年)、“The Love You Save”(全米1位・全英7位、1970年)、“I'll Be There”(全米1位・全英4位、1970年)、“Never Can Say Goodbye”(全米2位・全英33位、1971年)、“Dancing Machine”(全米2位・1974年)等多数のヒット曲を放ち、シングル・グループと認識されている彼らだが、同時にリリースしていたアルバムもほとんどがトップ10入りするほどのヒットを記録していた。メンバーは1971年にマイケルがソロとしても活動しだしたのをきっかけに、1972年にジャーメイン、1973年ジャッキーがソロ活動を開始している。彼らの人気は相当なもので全国ネットのABCでは、彼らを題材にしたアニメ番組まであった。
ジャクソン5のサウンドを陰で支えたのは、60年代のモータウンの再来を目指し、ゴーディーが結成したThe Corporation(ザ・コーポレーション)。ゴーディー、Freddie Perren(フレディ・ペレン)、Alphonzo Mizell(アルフォンゾ・ミゼル。この後スカイハイ・プロダクションズを結成し、ジャズ界で大成功する)、Deke Richards(デイク・リチャーズ)からなるこの作曲家兼プロデューサーチームは、ジャクソン5のために結成され、“I Want You Back”を始めとする、甘く切ないティーンズソウルの代表曲をほとんど書いた。
1973年、ジャーメインはゴーディーの娘と結婚、1975年には兄弟達がEPICと契約した際にもジャーメインはモータウンに残る。しかしゴーディーは、移籍した兄弟達に激怒し、契約不履行で訴える。この訴えはこじれ、1980年まで解決には至らなかった。メンバー達はジャーメインに見切りをつけ、妹であるLaToya(ラトーヤ)を加入させた。しかし、ジャクソン5の名称はモータウンに権利が残ったので、グループ名をJacksons(ジャクソンズ)に変更して、活動を続けた。