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ソウル&ファンク大辞典

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Bobby Byrd

神には勝てなかったファンク界の裏番長

ボビーバード Please, Please, Please,
James Brown and the Famous
Flames, 1956
ジェームス・ブラウン関連アーティストの中でも、少しヨレたようでありながらドスの聞いたヴォーカルが人気のBobby Byrd(ボビー・バード)。最初にジェームス・ブラウンに出会ったのは、意外な場所だった。刑務所内での受刑者による野球の試合でふたりは出会い、意気投合したのだ。その後、バードの家族が強盗の罪で服役していたブラウンの保証人になったため、仮釈放が許された。

1953年、バードがGospel Starlighters(ゴスペル・スターライターズ)というグループのリード・ヴォーカル兼ピアニストだったとき、ジェームズ・ブラウンには音楽的なキャリアはほとんどなかった。当時は当然バードの方が音楽的に立場が強く、彼がブラウンを誘い一緒に演ろうといい出したのだった。しかし、ここからブラウンはファンクの神への道を突き進む。音楽の傾向はすぐにJBの希望であるR&B寄りになり、バンドの名前も1956年にデビューを果たしたときには、James Brown and the Famous Flamesと改名されてしまった。このデビュー作“Please, Please, Please”(公式にはJames Brown & Johnny Terryの作になっているが、バードは自分がテリーと作ったと主張している)はヒットしたものの、バンドはうまくいくわけもなく、しばらくして解散した。

バードはブラウン抜きで残りのメンバーとバンドを再結成したが、これも成功には至らなかった。結局ジェームス・ブラウンと、新フェイマス・フレイムスを結成することになるのだが、この時点で完全にジェームス・ブラウンによる独裁体制のバンドになっていた。それからは生まれ変わったようにヒットを連発するようになり、1963年には出世作となる“Live at the Apollo”を発表。この年、ボビー・バードもKing(キング)傘下のFederal(フェデラル)からソロ・シングルを発表している。

Bobby Byrd I Know You Got Soul,
Bobby Byrd, 1971
その後、ブラウンがフェイマス・フレイムスから独立するものの、ふたりは1970年に再びバンドを結成する。このとき生まれたのが歴史的なファンクの名作“Get Up (I Feel Like Being a) Sex Machine”だ。Bootsy Collins(ブーツィー・コリンズ)のベースに、ブラウンとバードのツインヴォーカルの掛け合いが印象的なこの作品だが、やはりこの作品もジェームス・ブラウンのソロとして発表されている。それでもふたりは1971年に、ポリドール傘下でPeople(ピープル)というレーベルを始め、ファンクの歴史に残る名作を次々と世に送り出した。

80年代中盤にレアグルーブ・ブームがおこったとき、英国のDJ達が頻繁にプレイしたのが、この70年前後のシングルだ。JB'sとしてもジェームズ・ブラウンの黄金期ともいえる70年代に多大なる貢献をした。


James Brown and the Original JB’s (with Bootsy Collins) italian TV-show 1971
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