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50年代にマイアミで音楽出版・レーベル・流通の会社を設立。自身のレーベルの最初の成功は、相棒のSteve Alaimo(スティーヴ・アレイモ)と設立したAlstonからリリースされた1971年Betty Wright(ベティ・ライト)の“Clean Up Woman”だ。Clarence Reid(クラレンス・リード)作曲のこの作品は、R&Bチャート2位・ポップチャート6位まで上りつめ、彼女の代表作であるとともに、マイアミソウルを世間に認識させることにつながった。このレーベルからは、現在でも人気の高いBeginning of the End(ビギニング・オブ・ジ・エンド)の“Funky Nassau(1971年)”も発表されている。
成功は続いた。ヘンリー・ストーンの別レーベルGladesから1972年にリリースされたTimmy Thormas(ティミー・トーマス)の“Why Can’t We Live Together”がR&Bチャート1位・ポップチャート3位の大ヒットとなったのだ。
最大の成功はTKスタジオ・エンジニアであったRichard Finch(リチャード・フィンチ)とHarry Wayne “KC” Casey(ハリー・ウェイン・KC・ケイシー)によるK.C. & The Sunshine Band(KC &ザ・サンシャイン・バンド)の大ブレイクだった。“That’s the Way (I Like It)”や“(Shake, Shake, Shake) Shake Your Booty”等、数々の大ヒット曲をリリースするとともに、George McCrae(ジョージ・マックレー)の“Rock Your Baby”やベティ・ライトの“Where Is the Love”のプロデュースも手がけ、TKレコードのハウスバンド的な役割も果たした。ディスコブームに乗って一気に世界的なレーベルへと成長したが、ブームが去った1981年、破産とともに消滅した。