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ソウル&ファンク大辞典

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The Winstons

他者の作品の中で永遠の命を得たブレイク・ビーツ

アーメン・ブレイク Amen, Brother,
Winstons, 1969
スタートは非常に順調だった。首都ワシントンD.C.を拠点に活動していたThe Winstons(ウィンストンズ)。デビューはなんと当時カーティス・メイフィールドが立ち上げたばかりのCurtom(カートム)から。デビューシングル“Ain’t Nothing Like a Little Lovin’ / Need a Replacement”はノーザンビートのなかなかいい曲だったが、セールス的には振るわず、この一枚でカートムとの契約は終了する。

彼らの運命を変えたのは次のシングルだった。Metromedia Records(メトロメディア・レコード)に移籍し、1969年にリリースした第一弾シングルがブラックミュージックに大きな影響を残すことになったのだ。A面収録の“Color Him Father”は、ウィンストンズにとって初の大ヒット(ビルボードR&Bチャート2位、ホット100 7位)となり、曲を作った中心メンバーのRichard Spencer(リチャード・スペンサー)は、翌年のグラミー賞で「ベストR&Bソング」を受賞した。戦争で命を落とした義父への愛を歌ったこの曲は、ポール・ウェラーがファイヴァリット・ソングとしてあげている。またアンダーソン・パーク“Malibu”収録の“Celebrate”は、“Color Him Father”に影響を受けていると言われている。

しかしこのシングルがブラックミュージック・ファンの記憶に残るきっかけになったのはA面の大ヒットだけではない。明らかにカーティス在籍時のインプレッションズの影響を受けたB面インスト曲の“Amen, Brother”が十数年後、人々の心を捉えることになるのだ(そういえばA面もどこかインプレッションズぽくもある)。この曲のドラムビートはその後“Amen break(邦訳ではアーメン・ブレイクとなっている場合が多いがエイメン・ブレイクの方が雰囲気が出るのでは?)”と呼ばれるようになり、N.W.A.からOasisまで、ヒップホップだけではなく様々なジャンルのアーティストに3千回以上もサンプリングされてきた。現時点のサンプリング回数では、ぶっちぎりの第一位である。

このビートを叩き出した主はGregory Coleman(グレゴリー・コールマン)という男。彼はウィンストンズ所属前には自らのリーダーバンドを率い、オーティス・レディングやインプレッションズのバックでもドラムを叩いていた筋金入りのドラマーだった。ちなみに他のメンバーも同様の経歴を持ち、意外にも全員ソウルの王道付近で活動していたことになる。

結局、大きな成功はこのシングル盤一枚に終わった。しかしウィンストンズという名は知らなくても、その影響は今でも数千枚の作品の中で生き続けている。




Amen, Brother - Winstons
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