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ソウル&ファンク大辞典

ヒップホップを経験した時代からみた、永遠に完成しないソウル&ファンクの大辞典。

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Thelma Houston

超強力な作品に出会いダンスミュージック史の女神となった歌手

テルマヒューストン Any Way You Like It,
Thelma Houston,
1976
南部ミシシッピ州生まれのテルマ・ヒューストン。10歳の時に西海岸のカリフォルニア州ロングビーチへと移る。若いときに結婚をし、ふたりの子どもをもうけた後に、ゴスペル・グループArt Reynolds Singers(アート・レイノルズ・シンガーズ)のメンバーとしてデビューを果たした。

彼女の歌声に魅せられた5th Dimention(フィフス・ディメンション)のマネージャーMarc Gordon(マーク・ゴードン)と出会い、ソロとしてデビュー・アルバム“Sunshower(1969年)”を発表。Jimmy Webb(ジミー・ウェッブ)プロデュースによるこの作品は、セールス的には失敗、レコード会社との契約を打ち切られる。

その後Motown Records(モータウン)のMoWest(モーウエスト)と契約し、“Thelma Houston”を発表。やはりこの作品も売れ行きは芳しくなかったが、彼女の評価は少しずつ高まっていく。

この頃、モータウン制作の映画出演の話をきっかけに、徐々に女優としての仕事が増えていく。それとともに音楽の仕事も再び増え始め、サントラへの参加や、映画の主題歌を担当するようになる。

そしてリリースされたのが彼女のサードアルバム“Any Way You Like It(1976年)”だ。ここから最初にシングルカットされたのが、彼女の代名詞となる“Don’t Leave Me This Way”。これはGamble & Huff(ギャンブル&ハフ)プロデュースで1975年にHarold Melvin & the Blue Notes(ハロルド・メルビン&ザ・ブルー・ノーツ)が出した曲のカバーだが、全米だけではなく、世界各国のチャートを賑わし、オリジナル版を超える大ヒットとなった。そしてグラミー賞の最優秀女性R&Bヴォーカル部門も受賞した。テルマ・ヒューストン版のプロデュースはHal Davis(ハル・デイヴィス)。ちなみに“Don’t Leave Me This Way”は、1986年にリリースされた天性の感覚を持つヴォーカリスト、ジミー・ソマーヴィルが在籍したザ・コミュナーズのHi-ENG(ハイエナジー)ヴァージョンも素晴らしい。愛と信仰を重ねて描かれたこの曲の変遷を聞くだけでも、ディスコから発生するダンスミュージックの歴史やそれに連なるサブカルチャーを感じられる。

その後、元Impressions(インプレッションズ)のスターJerry Butler(ジェリー・バトラー)とのデュエット・アルバム等を出したが、“Don’t Leave Me This Way”を超えることができなかった。

1978年の“The Devil in Me”では、自らのトリビュートとも思えるような“I’m Here Again”のような佳作を残している。

80年代にはRCA、MCAと移籍をしJam & Lewis(ジャム&ルイス)ともコンビを組み、そこそこのヒットを出すが、それでも“Don’t Leave Me This Way”の呪縛からはなかなか抜けられなかった。歌手としての活動以外にも、女優としても長く活躍している。





Don’t Leave Me This Way - Thelma Houston
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