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母の考えは浅はかだった。彼女たちが暮らすサウス・ブロンクスは、その当時世界で最も音楽的に刺激的な場所だったからだ。ヒップホップの勃興だ。街ではアフリカ・バンバータ等がパーティーを頻繁に開いている頃であり、十代の女の子たちが家でじっとしていられるわけがない。
彼女らは街の空気や最新の音楽を全て吸収し、さらにはジェームス・ブラウンの古いファンクから、モータウン、ローリングストーンズ、ラテンと好きな音楽を全てミックスして、ポストパンクのような手法で独自のディープファンクを生み出すことになる。
技術よりも感覚を大切にする彼女らの音にはプロも注目した。デビューしたのは通常のブラックミュージックのレーベルではなく、ニューヨークならではのノー・ウェーブのアーティストが多く所属する99 Recordsだった。ノー・ウェーブのアーティストは、人種や音楽カテゴリー、表現手法等、全く前例に媚びないことをモットーとしていたので、世界で最も自由な人たちが彼女らの周りにいたことになる。
こうしてESGの音は完成していった。ESGに反応したのは、英国はマンチェスターのFactory Records(ファクトリー・レコード)。まずファクトリー所属のA Certain Ratio(ア・サートゥン・レイシオ)の前座を務め、その後Joy Division(ジョイ・ディヴィジョン)等を手がけたMartin Hannett(マーティン・ハネット)のプロデュースにより、“You’re No Good”というEPをリリース。このEPに収録された“You’re No Good”、“U.F.O.”、“Moody”の3曲はそのままESGの代表曲となっている。
また伝説のディスコ、パラダイス・ガラージでもESGの曲は愛され、特にDJのラリー・レヴァンが“Moody”を頻繁にプレイしたことから、後のハウス・ミュージックにも強い影響を与えるようになった。
ヒップホップ界も反応した。特に前述の“U.F.O.”は、サンプリングの大定番となり、J・ディラやノートリアス・B.I.G.等、現在まで無数のアーティストに取り上げられている。
これほど多くの高感度な人たちに愛されたESGだが、弱小レーベルに所属していたことや自由すぎる作風が仇となり、伝説は残したものの商業的には成功することがなかった。