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しかし、映画でアフリカのズールー族のことを知り、彼の人生は大きく変わる。暴力に頼る人生から足を洗い、アフリカ・バンバータという名前で新たな人生を歩み出したのだ。
1977年、ギャング活動をやめたアフリカ・バンバータが力を入れたのが「パーティー」だった。幅広い人脈を持っていたため、ギャングのメンバーを次々にパーティーへ誘い、彼らがDJやダンサー、アーティストとなり、ヒップホップ文化は広がっていく。
このムーブメントの中から生まれたクルーがCosmic Force(コズミック・フォース)でありSoulsonic Force(ソウルソニック・フォース)であった。
彼らの協力により、アフリカ・バンバータ初期の代表曲“Zulu Nation Throw Down(1980年)”は生まれた。ラップはすでに多用しているが、この頃は生バンドを使っており、ヒップホップの完成形には至っていないが、危険だったニューヨークのリアルな空気を味わうことができる名作だ。
ジェームス・ブラウンやUB40とも共演しているが、アフリカ・バンバータの代表曲といえば、“Planet Rock”に尽きるだろう。クラフトワークのフレーズを取り入れたこの曲は、初期ヒップホップを代表する曲でもある。また彼らはイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の“Firecracker”を“Death Mix (Part 2)”で使うなど、テクノに早くから注目していた。
アフリカ・バンバータの強引さがあったからこそ、今のヒップホップの基盤ができたといえるだろう。