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Okeh(オーケー)で何作かレコーディングはするものの、リード・シンガーが一定せず、ヒット作には恵まれなかった。上昇のきっかけはシカゴで50年代に人気のあった元El DoradosのMarvin Smith(マーヴィン・スミス)の加入。マーヴィン・ゲイのカバー曲“Get My Hands On Some Lovin'”がシカゴのローカルチャートでトップ5入りのヒットにつながった。この曲が示すようにOkehがシカゴ色を全面に打ち出したレーベルであるのにも関わらず、アーティスティックスのサウンドはデトロイト寄りのものであり、Okeh時代にはBarret Strong(バレット・ストロング)のに手によるノーザンソウルの名作“This Heart Of Mine”もリリースしている。
1966年カール・デイヴィスとともにBrunswick(ブランズウィック)に移籍。彼らとしての最大のヒット曲“I'm Gonna Miss You”をリリース。キャリアを通じて大ヒット曲には結局恵まれなかったが、クオリティーの高いサウンドを常に作り続け、現在でもノーザン・ソウル・ファンには人気のあるバンドである。