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彼の人気に陰りの見え始めた1966年、Carl Davis(カール・デイヴィス)をプロデューサーとして招き、レーベルの再建を図った。その結果、これが大当たりし、レコード・セールスも好調となり、ブランズウィックは米国有数のソウル・レーベルに成長した。もともとシカゴソウル・シーンの顔役であったカール・デイヴィスは、Artistics(アーティスティックス)、Chi-Lites(シャイ・ライツ)、Barbara Acklin(バーバラ・アクリン)らをブランズウィックに呼び寄せて、自らのプロデュースでレコードをリリースした。
こうして元々はニューヨークの会社でありながら、60年代、70年代のシカゴソウルを代表するレーベルとして人々の記憶に残った。