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その後、移籍したMinit Records(ミニット)でアラン・トゥーサンに出会い、オーティス・レディングが後に“Pain In My Heart”としてリメイクした“Ruler of My Heart”等の名曲を残す。
ミニットがImperial Records(インペリアル)に買収されたため、彼女のデビューアルバム“Wish Someone Would Care”は、幸運にも大手からリリースされることとなった。そしてアルバムタイトル曲は彼女にとっての最大のヒット曲となった。また、B1 “Time Is on My Side”は、ローリング・ストーンズがカバーして大ヒット。曲はジャズ・トロンボーン奏者のカイ・ウィンディングのカバー曲に詩を付け足したものだが、ローリング・ストーンズのヴァージョンは、アーマ・トーマス版が元になっている。B6 “Break-A-Way”は、1983年にトレイシー・ウルマンがカバーしてヒットさせている。
こうして書くと、アーマ・トーマスはヒット曲を連発しているようだが、音楽家からのリスペクトの高さの割には、爆発的な大ヒット作を残していない。それでも、地元の人は尊敬の念と親しみを込めて、アーマ・トーマスのことを「ニュー・オーリンズのソウル・クイーン」と呼び、愛している。
Producer: Eddie Ray
1964年