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ソウル&ファンク大辞典

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Irma Thomas / WISH SOMEONE WOULD CARE

ニューオーリンズに愛された無冠のソウル・クイーン

アーマ トーマス Wish Someone Would
Care, Irma Thomas,
1964
ルイジアナ州生まれで、多くのスターを輩出したニュー・オーリンズを代表する歌手の一人であるアーマ・トーマス。10代の時にすでに2回結婚しており、トーマスは2度目の夫の苗字。歌手デビューも10代の時で、1960年にリリースされた“(You Can Have My Husband But) Don’t Mess with My Man”がいきなりビルボードのR&Bチャート22位の大ヒットとなる。

その後、移籍したMinit Records(ミニット)でアラン・トゥーサンに出会い、オーティス・レディングが後に“Pain In My Heart”としてリメイクした“Ruler of My Heart”等の名曲を残す。

ミニットがImperial Records(インペリアル)に買収されたため、彼女のデビューアルバム“Wish Someone Would Care”は、幸運にも大手からリリースされることとなった。そしてアルバムタイトル曲は彼女にとっての最大のヒット曲となった。また、B1 “Time Is on My Side”は、ローリング・ストーンズがカバーして大ヒット。曲はジャズ・トロンボーン奏者のカイ・ウィンディングのカバー曲に詩を付け足したものだが、ローリング・ストーンズのヴァージョンは、アーマ・トーマス版が元になっている。B6 “Break-A-Way”は、1983年にトレイシー・ウルマンがカバーしてヒットさせている。

こうして書くと、アーマ・トーマスはヒット曲を連発しているようだが、音楽家からのリスペクトの高さの割には、爆発的な大ヒット作を残していない。それでも、地元の人は尊敬の念と親しみを込めて、アーマ・トーマスのことを「ニュー・オーリンズのソウル・クイーン」と呼び、愛している。

Producer: Eddie Ray
1964年



Time Is On My Side - Irma Thomas
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