Minit Records
アラン・トゥーサンを生んだニューオリンズのレーベル
Ooh Poo Pah Doo, Part 2,
Jessie Hill, 1960
1959年、ニューオーリンズで誕生したMinit Records(ミニット)。このレーベルを音楽面で支えていたのが、ニューオーリンズの仕掛人Allen Toussaint(アラン・トゥーサン)だ。最初のヒットはJessie Hill(ジェシー・ヒル)の“Ooh Poo Pah Doo, Part 2(1960年)”。Imperial(インペリアル)との配給契約を1961年に結ぶとすぐに、Ernie K-Doe(アニー・ケイドー)のナンバー1ヒット“Mother-In-Law”が出た。1963年にトゥーサンがレーベルを去るまでAaron Neville(アーロン・ネビル)、Irma Thomas(アーマ・トーマス)らのニューオーリンズを代表するアーティストが活躍した。
ローリングストーンズやフーにカバーされたBenny Spellman(ベニー・スペルマン)の“Fortune Teller”はノーザンソウル・クラシックとしても知られている。