ヒップホップを経験した時代からみた、永遠に完成しないソウル&ファンクの大辞典。
それでもディスコによって一度死滅しかけたジェームス・ブラウン以降のファンクのスピリッツを、80年代に向けて最も純粋に受け継いでいったのは、Pファンクやヒップホップと並び、このワシントン・ゴーゴーのミュージシャンたちだろう。彼らは時代がデジタル中心に流れる中、生の演奏でファンクの魂を受け継いでおり、その本質に最も近い存在だった。なかでも人気が高かったのが、このTrouble Funk(トラブル・ファンク)だ。
強烈なリズムセクションにホーンが絡み、コール&レスポンスで朝まで延々と続く彼らのライブは、完全に当時のブラック・ミュージックの流れとは逆行していた。トラブル・ファンクの反復するリズムは、むしろ一晩中陶酔しながら続けられた黒人霊歌のシャウトや、Fela Kuti(フェラ・クティ)さらにはもっとその源流のアフリカ民族音楽のスタイルにも近く、米国の首都から発信された音楽なのに、無意識のうちに最もアフリカ的要素を取り込み、原点回帰を図っていたバンドのひとつといえるだろう。
とは言っても、シャウトのような宗教音楽ではなく、基本はパーティー・ミュージックなので、“Pump Me Up”や“Say What?”等、ポップな曲も多い。Beastie Boys(ビースティ・ボーイズ)はトラブル・ファンクの曲をサンプリングに多用しており、その他にも数えきれないほど多くのアーティストに直接・間接的に影響を与えている。