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メイフィールド・シンガーズでリードヴォーカルを務めていた実力を認められ、カーティスからImpressions(インプレッションズ)への加入を勧められる。リロイ・ハトソンの加入と同時にカーティス自身はプロデューサーとしてインプレッションズに関わり、ソロとしての活動に比重を置くようになった。しかし、ハトソンにとってカーティスの後釜というのは荷が重すぎたようで、ビジネス的にはカーティス在籍時に比べると、若干劣った。(内容的にはハトソン在籍時に出した“Times Have Changed”もかなりいいが…)。
インプレッションズとして2枚のアルバムを残したあと、ソロとしての活動を開始。彼が実力を発揮をし出すのは栄光のインプレッションズ時代より、むしろソロになってからだった。1973年から1980年の間Curtom(カートム)から“Love Oh Love”や“The Man!”、“Hutson”等の好盤を残す。この頃起こったニューソウル・ムーブメントにも乗り、セールス的にもそこそこの成績を収める。インプレッションズ時代には音楽家としての才能をあまり発揮できずにいたが、ソロ作では曲作りからプロデュース・演奏までこなし、十分に実力を示した。1980年にカートムがレーベルを閉鎖したため他の会社へ移るが、カートム時代の輝きは続かなかった。
プロデューサーとしても、Roberta Flack(ロバータ・フラック)やNatural Four(ナチュラル・フォー)、Voices of East Harlem(ヴォイシズ・オブ・イースト・ハーレム)等の作品を手がけている。