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ソウル&ファンク大辞典

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Gloria Jones

マーク・ボランの死の瞬間を知る女

グロリアジョーンズ Come Go With Me,
Gloria Jones, 1966
グロリア・ジョーンズの音楽キャリアは非常に華やかだ。14歳の時にBilly Preston(ビリー・プレストン)も在籍していたゴスペルのCogic Singers(コジック・シンガーズ)のメンバーとしてデビュー。19歳の時にはソロでリリースしたポップなダンスビート“Heartbeat-Part 1 + 2”がヒット、この曲はDusty Springfield等、英国のアーティスト達にカバーされた。1964年には“Tainted Love”が一部のファンに熱狂的に受け入れられ、ジョーンズは一躍ノーザン・ソウル界の女王として君臨する(『テインテッド・ラヴ』は1981年にソフトセルによってカバーされ、世界的な大ヒットとなる)。

1960年代後半はミュージカルに活躍の場を移すが、Motown Records(モータウン)からの依頼でFour Tops(フォー・トップス)、Jackson 5(ジャクソン5)等、同レーベルのアーティスト達に曲を提供している。Gladys Knight & the Pips(グラディス・ナイト&ザ・ピップス)に提供した“If I Were Your Woman”は1971年のグラミー賞にもノミネートされている。

ミュージカル『ヘアー』に出演している時、人生の大きな転機を迎える。マーク・ボランとの出会いだ。1972年にはTレックスのライヴにも参加するようになり、公私ともにマーク・ボランと親しい関係となる。この時期、ソロアルバムもリリースしており、Tレックス“Get It On”の超ファンキー・バージョンや、Bessie Banks(ベシー・バンクス)の名曲“Go Now”のカバーを披露している。ちなみに、1977年にマーク・ボランが交通事故死した時、ハンドルを握っていたのは飲酒運転をしていたグロリア・ジョーンズだった。

1977年にはGonzalez(ゴンザレス)の“Haven’t Stopped Dancing Yet”の作曲・アレンジを手がけディスコでヒット、この曲は今でもダンス・クラッシクスとして知られる。

ゴスペル、ノーザン・ソウル、モータウン、ミュージカルスター、ディスコ、そしてマーク・ボランに影響されたファンク路線、と各時代で結果を出していたが、華やかなキャリアの割には、スポットライトを浴びることは少なく、裏方のイメージが強いアーティストだった。




Tainted Love - Gloria Jones
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