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ソウル&ファンク大辞典

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Invictus / Hot Wax

70年代デトロイトを代表するほろ苦ソウルレーベル

Invictus Why Can't We Be Lovers,
Lamont Dozier, 1972
60年代、世界で最も成功しているレコード会社Motown(モータウン)で、最も成功している作曲・プロデューサーチームであったLamont Dozier(ラモント・ドジャー)、 Brian Holland(ブライアン・ホランド)、Eddie Holland(エディ・ホランド)。そのHolland-Dozier-Holland(H=D=H)が、モータウンを離れ、1969年に設立したのが、Invictus(インヴィクタス)とその兄弟レーベルHot Wax(ホットワックス)。60年代後半には、いわゆるモータウン・サウンドは時代遅れになりつつあったが、その中核であったH=D=Hは、INVICTUSで完全に息を吹き返した。

モータウンのスタイルであった、曲が出来上がってから、それに合うアーティストを探す方式を止め、インヴィクタスでは、それぞれのアーティストの個性を活かした。最初の成功をもたらしたのはGlass House(グラスハウス)だった。

永年の知り合いであったFreda Payne(フリーダ・ペイン)と契約を交わそうと電話で話をしていたエディ・ホランド。その受話器の向こう側で彼女の妹が、大声で歌いアピールしていた。それが、Ty Hunter(タイ・ハンター)とともにグラスハウスの顔となるSherrie Payne(シェリー・ペイン)であった。グラスハウスは1969年にR&Bチャート7位のヒット(“Crumbs Off the Table”)を飛ばすと、1973年の解散まで数曲をチャートに送った。

このレーベル最大のスターといえばやはりChairmen Of The Board(チェアメン・オブ・ザ・ボード)だろう。元Showmen(ショウメン)のリードシンガーGeneral Norman Johnson(ジェネラル・ノーマン・ジョンソン)、元Lee Andrews & the Hearts(リー・アンドリューズ&ザ・ハーツ)のEddie Curtis(エディ・カーティス)、元Stone Soul Children(ストーン・ソウル・チルドレン)のHarrison Kennedy(ハリソン・ケネディ)とジョンソンの友人であるDanny Woods(ダニー・ウッズ)からなる4人組でポップチャート3位の“Give Me Just a Little More Time”を皮切りに、何曲もチャートに送り込んだ(3人組の印象が強いが、4人組としてデビューし、カーティスはファースト・アルバムの後に脱退)。

彼等以外にもフリーダ・ペイン、8th Day(エイトゥス・デイ)、Smith Connection(スミス・コネクション)、Barrino Brothers(バリノ・ブラザーズ)等、素晴らしいアーティストを輩出しており、H=D=Hはその力を再度証明し、1970年代初頭のデトロイトを代表するレーベルとなった。





Why Can't We Be Lovers - Lamont Dozier
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