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モータウンのスタイルであった、曲が出来上がってから、それに合うアーティストを探す方式を止め、インヴィクタスでは、それぞれのアーティストの個性を活かした。最初の成功をもたらしたのはGlass House(グラスハウス)だった。
永年の知り合いであったFreda Payne(フリーダ・ペイン)と契約を交わそうと電話で話をしていたエディ・ホランド。その受話器の向こう側で彼女の妹が、大声で歌いアピールしていた。それが、Ty Hunter(タイ・ハンター)とともにグラスハウスの顔となるSherrie Payne(シェリー・ペイン)であった。グラスハウスは1969年にR&Bチャート7位のヒット(“Crumbs Off the Table”)を飛ばすと、1973年の解散まで数曲をチャートに送った。
このレーベル最大のスターといえばやはりChairmen Of The Board(チェアメン・オブ・ザ・ボード)だろう。元Showmen(ショウメン)のリードシンガーGeneral Norman Johnson(ジェネラル・ノーマン・ジョンソン)、元Lee Andrews & the Hearts(リー・アンドリューズ&ザ・ハーツ)のEddie Curtis(エディ・カーティス)、元Stone Soul Children(ストーン・ソウル・チルドレン)のHarrison Kennedy(ハリソン・ケネディ)とジョンソンの友人であるDanny Woods(ダニー・ウッズ)からなる4人組でポップチャート3位の“Give Me Just a Little More Time”を皮切りに、何曲もチャートに送り込んだ(3人組の印象が強いが、4人組としてデビューし、カーティスはファースト・アルバムの後に脱退)。
彼等以外にもフリーダ・ペイン、8th Day(エイトゥス・デイ)、Smith Connection(スミス・コネクション)、Barrino Brothers(バリノ・ブラザーズ)等、素晴らしいアーティストを輩出しており、H=D=Hはその力を再度証明し、1970年代初頭のデトロイトを代表するレーベルとなった。