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サンフランシスコ出身のこのグループは、企画物として生まれ、ゲイ文化が発展していたこの都市で、一山当てるためにDJのBill Motley(ビル・モトリー)が、1980年に結成した。サンフランシスコでは、すでにSylvester(シルヴェスター)が1978年に“You Make Me Feel (Mighty Real)”の大ヒットを出しており、マーケットの素地ができていたため、比較的すぐに彼らは受け入れられた。
1981年にはSly Stone(スライ・ストーン)の“You’re the One”やAshford & Simpson(アシュフォード&シンプソン)の“Ain’t No Mountain High Enough”のカバー12インチをリリース、同年にはデビューアルバム“Crusin’ the Streets”も発表した。1981年に彼らはもう一枚のアルバムを発表している。その作品“Disc Charge”に収録されていたのが大ヒットした『君の瞳に恋してる』だった。
ビル・モトリーは、ボーイズ・タウン・ギャングが所属するレコード会社Moby Dick(モビー・ディック。おそらく下ネタ?)の経営者でもあり、この会社では、ほとんどの社員がゲイだったという。ボーイズ・タウン・ギャングの脇の男性ふたりも明らかにゲイに見える(ちなみに、彼らは横でふざけているわけではなく、バックヴォーカルのために存在している)。ゲイに寛容ではなかった当時の日本でも「君の瞳に恋してる」が大ヒットしたのは、ビル・モトリーの意に反して、女性リード・ヴォーカルのイメージだけを前面に打ち出していたからではないだろうか。
モビー・ディックは1984年にレーベルを閉じるが、その原因は主要社員10人のうち7人がAIDSで亡くなったためだという。
フランキー・ヴァリのオリジナル以来、無数のアーティストがこの曲をカバーしているが、ボーイズ・タウン・ギャングのバージョンが最も世界に浸透し、最も今でもかけられ続けている、といっても間違いではないだろう。
『ジャージー・ボーイズ』のフランキー・ヴァリのように、ボーイズ・タウン・ギャングを中心に、モビー・ディックに出入りした人々の話をまとめれば、かなりいい映画が撮れそうだ。クリント・イーストウッドは絶対に撮らないだろうが…。