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両親が経営するレストランのジュークボックスから流れるブルースを聴いて育ったヴィンセントは、自らもジュークボックスのビジネスをきっかけに音楽業界に入った。20代の頃にニューオーリンズのレコード販売会社の営業となり、その後ブルースのレーベルChampion(チャンピオン)を始めた。1953年にはSpecialty Records(スペシャルティ)のスカウトとなり、Ray Charles(レイ・チャールズ)がピアノを担当したGuitar Slim(ギター・スリム)の“The Things I Used to Do”をニューオーリンズで制作、この曲は50年代を代表するR&Bのヒット作となった。
1955年に始めたAceでの最初のヒットはEarl King(アール・キング)の“Those Lonely, Lonely Nights”。1960年にリリースされたJimmy Clanton(ジミー・クラントン)の“Just A Dream”はR&Bチャート1位に輝いた。
Huey "Piano" Smith(ヒューイ・ピアノ・スミス)、ジミー・クラントン、Frankie Ford(フランキー・フォード)らのスターを生んだ50年代後半はエースにとっての黄金期であったが、60年代に入ると資金が足りなくなり、大手Vee-Jay(ヴィージェイ)の配給に頼らざるを得なくなった。しかし、その頼りの綱のヴィージェイが1966年に倒産し、エースはもとのローカルレーベルとなり、数枚のリリースはあったが、ヴィンセントの意欲も無くなりレコード・ビジネスから手を退いた。
しばらくは業界から離れていたが、レコード・コレクターや研究家達はAceのことを忘れてはいなかった。ヴィンセントも重い腰を上げて1971年には、新作の制作や、宝のようなエースの作品群の再発を開始し、80年代までこうした活動は続いた。
Joe Tex(ジョー・テックス)、James Booker(ジェイムズ・ブッカー)、Lee Dorsey(リー・ドーシー)、Mac Rebennack(マック・レベナック、後のDr. John)もこのレーベル出身だ。