「社会構造的」ホラーで戦慄しながら半笑い
今では死語に近いが日本ではかつて「一億総中流社会」という言葉がよく使われた。日本人の多くが自分の生活レベルは、国民の中ぐらいに属しており、それほど悪くはないと思い込んでいたからだ。昭和30年代ぐらいまでは、まだ戦時中の記憶も残っており、戦闘機の恐怖に怯えていた時代に比べれば、生活は格段に向上し、給料も毎年増加していた。たとえ大した豊かさでなくても、多くの人が「仮想中流」で満足するのも無理はない。
映画「パラサイト 半地下の家族」が描く韓国社会は、もしかすると日本の近未来を描いているのかもしれない。経済格差は大きくなり、「持つもの」と「持たざるもの」の二極化が進む。政治が機能不全に陥ると、どの国でもこうした状況に陥りやすい。
主人公家族が住む半地下の部屋が、全てを象徴している。床でくつろいでいるとき、家族の存在は完全に地面の下。経済的には困窮しているが、家族は仲良くやっている。外の世界を見ようとしても、半地下なので地面スレスレから社会を見上げることしかできない。そして窓から見える外の世界は、立ち小便する男や、ゴミだらけの街並みだけ。それほど自分の暮らしも悪くないと、根拠のない安心感を得る。
対するパラサイトされる金持ち側といえばーー普通なら性格が悪く、嫌味な人物像とするところだがーーこの家族も半地下家族と同様、とても仲良く、それなりに不安を抱きながら日々の暮らしを送っている。「鼻につく」ような言動もあるが、半地下家族の言動も似たようなものだ。
秀逸なのは、ポン・ジュノ監督の描いたこの2つの家庭の設定だ。両者の違いといえば、経済力ぐらいのもので、同じように楽しく、同じように悩んで暮らしている。現実的に考えれば、金持ちが悪く、貧乏人はいい人なんてことはあり得ない。ポン・ジュノ監督は、恐ろしいほどリアリスティックにこの完全なるフィクションを作り上げた。
そしてこの設定自体が背筋が凍るほどのホラーを演出する。ソン・ガンホ演じる父親が「運転手一人の求人に、大卒が500人も応募してくるんだぞ」と語るシーンがある。映画の中では、あの手この手を使って職を得ようとするが、もしこれが現実なら、金も学歴もない男が貧困から抜け出すことはほぼ不可能なのは誰にでもわかる。
日本は今でも「総中流」なのか、それとも「パラサイト 半地下の家族」のような格差社会に向かっているのか?自分は金持ち側なのか、半地下側なのか、それとももっと下の陽の当らない世界にいるのか? 人によっては考えたくもないだろう。答えははっきりしているだけに、余計に戦慄する。
社会構造そのものをホラー&コメディで見せる「パラサイト 半地下の家族」。こんな映画、半笑いで見ていないと、ノイローゼになってしまう(ほど凄い映画なのです!)。
監督:ポン・ジュノ
出演:ソン・ガンホ、チョ・ヨジュン、チェ・ウシク他
2019年