60年代にはスティーブ・ミラー・バンドのデビューアルバム“Children of the Future”、ステーブ・クロッパー“With a Little Help from My Friends”、ジェリー・ガルシアのソロデビューアルバム、70年代に入ってからはハービー・ハンコックの『ヘッド・ハンターズ』。ジャンルは違えど、どれも音楽史に残る名作ばかりであり、共通点もある。アルバム・ジャケットが全てヴィクター・モスコソの作品なのだ。今ではサイケデリックというと、誰もが極彩色や訳のわからない溶けたような文字、そしてトリップ感を誘うようなグルグルうずまきのイメージを思い浮かべるが、そのイメージを定着させた功労者の一人がヴィクター・モスコソだった。
しかし当時、彼のような高学歴のアーティストがロックと関わることは滅多になかった。出会いはサンフランシスコのクラブに行った時のこと、この衝撃的な文化を具現化するポスターを作れば商売になると思い付いたのだ。そして、ヒッピー文化のメッカである「ファミリー・ドッグ」や「アヴァロン・ボールルーム」に売り込み、実際にポスターの仕事を手がけるようになった。
またコントラストの強い写真コラージュを多用しているのもヴィクター・モスコソの作風の特徴である。強烈な色彩に溶け込むような写真のイメージ。サイケの時代のクラブでは、煌びやかな照明やプロジェクターを使用したショーが多く、こうした環境にモスコソのポスターは見事に調和した。
こうしてスティーブ・ミラーのようなミュージシャンの仕事をするようになり、彼の名は音楽界でも広がり、ヴィクター・モスコソはサイケデリック文化を代表するグラッフィックデザイナーへと成長していった。