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サイケデリックを紙で表した先駆者 ヴィクター・モスコソ

ヴィクター・モスコソ

60年代にはスティーブ・ミラー・バンドのデビューアルバム“Children of the Future”、ステーブ・クロッパー“With a Little Help from My Friends”、ジェリー・ガルシアのソロデビューアルバム、70年代に入ってからはハービー・ハンコックの『ヘッド・ハンターズ』。ジャンルは違えど、どれも音楽史に残る名作ばかりであり、共通点もある。アルバム・ジャケットが全てヴィクター・モスコソの作品なのだ。今ではサイケデリックというと、誰もが極彩色や訳のわからない溶けたような文字、そしてトリップ感を誘うようなグルグルうずまきのイメージを思い浮かべるが、そのイメージを定着させた功労者の一人がヴィクター・モスコソだった。

ヘッドハンターズ Head Hunters,
Herbie Hancock, 1973
1960年代中期に米国西海岸から世界中に発信されたサイケデリック文化。しかしヴィクター・モスコソは、西海岸生まれでもなければ、米国で生まれたわけでもない。彼はスペイン北西部のガリシア州で生まれた。彼は両親とともにスペイン内戦から逃れるために米国東海岸に渡った。アートを志したモスコソは、ニューヨークのクーパー・ユニオンやコネチカット州のイェール大学に進学する。さらにサンフランシスコ・アート・インスティチュートでも学ぶことになり、ここでようやく西海岸にやってきた。あのサイケなグラフィックデザインは、ストリートから出てきたのではなく、意外にも高学歴なアーティストによって生み出されていたのだ。ヴィクター・モスコソを特徴付ける色彩感覚も、ドラッグや音楽ではなく、イェール大学の恩師の影響が大きいという。

しかし当時、彼のような高学歴のアーティストがロックと関わることは滅多になかった。出会いはサンフランシスコのクラブに行った時のこと、この衝撃的な文化を具現化するポスターを作れば商売になると思い付いたのだ。そして、ヒッピー文化のメッカである「ファミリー・ドッグ」や「アヴァロン・ボールルーム」に売り込み、実際にポスターの仕事を手がけるようになった。

ジェリー・ガルシア Garcia,
Jerry Garcia, 1974
彼の名前を一躍有名にしたのが、1966年に開始した「ザ・ネオン・ローズ」シリーズだ。ネオン・ローズとは、「マトリックス」というクラブのイベント用ポスター制作のために彼が作った会社の名前。サイケデリック文化を代表するサングラスの女性をモチーフにした作品(上記写真)もこのシリーズの一環の中で生まれている。

またコントラストの強い写真コラージュを多用しているのもヴィクター・モスコソの作風の特徴である。強烈な色彩に溶け込むような写真のイメージ。サイケの時代のクラブでは、煌びやかな照明やプロジェクターを使用したショーが多く、こうした環境にモスコソのポスターは見事に調和した。

こうしてスティーブ・ミラーのようなミュージシャンの仕事をするようになり、彼の名は音楽界でも広がり、ヴィクター・モスコソはサイケデリック文化を代表するグラッフィックデザイナーへと成長していった。



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