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長谷川等伯「松林図屏風」


究極のミニマリズム。シンプルなのに立体。明らかに具象的なのに、どうしても抽象的に理解したくなる。禅における円相を松林に見立てて一気に描き上げたとも受け取れる。


見るものに様々な感情をもたらす長谷川等伯の「松林図屏風」。一生に一度は現物を見たかったので、ほぼこの作品を見るためだけに、上野の東京国立博物館「桃山:天下人の100年」を訪問した。通常なら有名作品の前はパンダ以上の黒山の人だかりだろうが、今回は新型コロナの影響で事前予約制となっており、作品鑑賞がしやすい状況で、ある意味ラッキーだった。


この特別展では、長谷川等伯の作品は狩野派の流れと絡めて比較展示されていた。等伯の作風の変遷と、日本美術史おける「松林図屏風」の異様な立ち位置が浮き彫りとなり、この松林は、対狩野派だけではなく、等伯自身の作品としても異様な存在感を放っていることがよくわかった。


ライバルとされた狩野永徳と長谷川等伯は、ある時期まではシンクロして成長していた。煌びやかな桃山文化の流れを受け継ぎ、共通点もいくつかあった。ところが「松林図屏風」で、等伯は突然変異した。狩野派はもはやライバルではなくなった。その世界観は千利休の「侘茶」や古信楽にも近い、素朴なものへと急変した。


この作品に着手する前、等伯は若くして突出した才能を発揮し出した息子の久蔵を亡くしている。異様であり異形。謎の多さはむしろ「松林図屏風」に仕掛けられた罠なのかもしれない。


東京国立博物館のミュージアムショップで、非常に精巧に再現された「松林図屏風」の版画を見かけた。この版画自体はとても美しく、高価だが衝動買いしたくなるほどよくできている。しかし、圧倒的な違いはそのスケールだ。やはり屏風の前に立ち、ある程度の距離を置いて鑑賞したときに、あの松林は最大の魅力を発する。「松林図屏風」はデザインではなく、存在感こそがその本質なのだろう。絵というよりもオブジェに近いのかもしれない。元々は屏風にするつもりではなかったのではないかという説もあるが、大事なのは完成品の形ではなく、あの大きさ(と見るものとの距離)ではないだろうか。


現代のアーティストとは違い、洋の東西を問わず、16世紀後半の芸術作品は、パトロン等の発注を受けて制作する場合がほとんどだった。ところが「松林図屏風」は依頼されて描いたのではなく、自ら描きたいものを純粋に描いたとても稀有な作品だと言われている。だからこそ、屏風にするつもりだったかどうかや、紙の継ぎ目のズレなどは、学者の研究対象としては興味深いだろうが、等伯自身(もしくはその弟子)は気にもかけていなかったのではないだろうか。頭の中にあるイメージを墨だけで3Dのように再現することに全てを捧げていたに違いない。


桃山時代の屏風は、権力者の威光を際立たせるための背景画としても使われたという。屏風自体がただの絵画ではなく、その前に立つ主人公がいてこそ成立する立体作品だったのだ。鑑賞者は主人公ではなく、主人公の前にひれ伏すものたちだ。


真の目的はどうであれ、「松林図屏風」もその点では、屏風として仕立てたことは正解だ。しかし、主人公は作品に背を向けていない。「主人公」と「鑑賞者」は同一である。


「松林図屏風」は数多くの絵画のようにただ見るだけのものではない。 鑑賞者を作品と対峙させることでその一部とし、傷心の等伯が実体験した無常感を追体験させるコンセプチュアル・アートがこの「松林図屏風」なのだろう。

(2020年11月20日)




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VR作品『国宝 松林図屛風―乱世を生きた絵師・等伯―』

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