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ジミー・ジェイムスは、代表曲のひとつである“Come to Me Softly”等をヒットさせた後、ライヴバンドとしてジャマイカで人気のあったヴァガボンズと組むようになる。そして、さらなる成功を求めて、1964年、ロンドンに渡った。渡英後はザ・フーやローリング・ストーンズの前座を務めるなどして、ライヴシーンでの評価を固めていった。
ジミー・ジェイムスのヴォーカルは非常に熱い。しかし、サウンドは、ジャマイカ出身らしく、米国産ソウルのような哀愁よりも明るさが強調されている。曲もソウルだけではなく、スカやR&B、カバーソング等、おそらくモッズ系の客の好みに合わせて、幅広く演奏した。そのため、レコードをじっくり聞くというよりは、パーティーのような状況で爆音で聞きたいタイプだ。当時は、英国ソウル界最高のライヴバンドと呼ばれていた。
1970年代にバンドは解散しているが、レコード・アーティストとしてのピークは、その後に来た。ディスコ全盛の時代にジミー・ジェイムスは復活し、成功している。この時代のヴァガボンズのメンバーは総入れ替えで全く60年代の面影はないが、“You Don’t Stand a Chance (If You Can’t Dance)”のようなファンクの名作を残している。