ソウル・クラシックスの大辞典を構築中! スマホ対応なので出先でもどうぞ。
ルーマニア移民でブロンクス育ちの創立者Hy Weiss(ハイ・ワイス)は、Exclusive、Modern、Jubilee、Apolloなどの名門R&Bレーベルで、セールスマンとして勤めていた。そこから独立しようとしたが、手持ちの資金が少なく、弟が働いていた会社“Old Town Paper”のステーショナリーが使い放題なのをいいことに、レーベル名をそのままOld Town(オールド・タウン)にしたといわれている。ステーショナリーの住所はマディソン街のままになっていたが、実際はマディソン街から遠く離れた場所にオフィスはあった。
そんな情けないスタートではあったが、そのサウンドは一級品で、都会らしい典型的なニューヨーク・サウンドを提供し続け、Fiestas(フィエスタズ)の“So Fine(R&Bチャート3位・1959年)”などはアーリー・ソウルを代表する作品とされている。その他にもBilly Bland(ビリー・ブランド)の“Let the Little Girl Dance(全米チャート7位・1960年)”やCaprisの“There’s a Moon Out Tonight(全米チャート3位・1961年)”等のヒット作を生んでいる。
ハイ・ワイスは、当時の音楽業界のなかでも、かなりのくせ者で、性格もかなりひねくれていたらしい。